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昔の鮎の放流

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湖産の鮎を放流していた漁協で、買う量が決まって買ってくると、それを川まで運ばなければならない。

これが大変だ。
東名高速もない時代、鮎の稚魚をトラックの荷台で管理しながら川まで運ぶ。
これが漁協にとっては大変な話である。
酸素ボンベをつけるかつけないかもあるが、つけない場合は夜通し水をかき回してくるということになる。
溶存酸素量が多ければ鮎は死なずに元気で運べる。
当時はまだ酸素ボンベにしても貴重品であり人手に頼って鮎を運んでいたと聞いている。
これでようやく川にたどり着き放流されるのである。
その時に大雨でも降れば大変な話で、鮎を放流することができないので川が落ち着くまで鮎を飼っていることになる。
こういう場合は地元の養殖業者等の協力を得ていたと聞いている。
現在はあゆの種も別に湖産に頼らず天然遡上系の鮎から採卵した稚魚とかいろいろ種もある。
また酸素ボンベをつけておくことで、放流する時も人手にあまり頼らずに運べる。
放流する時はそれなりに人手が必要だけれど、いろいろ機器が揃っているために鮎の扱いも非常に優しくなってき ている。

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